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女性教育と知的障がい者福祉の先駆者 石井 筆子
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前半生は女性教育向上の先駆者。後半生は知的障がい者の福祉と教育の草分けとして偉大な業績を残した。
 石井筆子は、文久元年(1861年)に父渡辺清、母ゲンの長女として、玖島城下岩船に生まれました。
 12歳の時、父のいる東京へ祖父母とともに上京し、国立の女学校に入学しました。ここではすべて英語で教育を受け、卒業後も英語塾に通いました。
 明治13年(1880年)にオランダ公使の従者という名目で、オランダ、フランスに2年間留学。
 明治17年(1884年)に大村出身で農商務省官吏の小鹿島果と結婚しました。
 その翌年女子学習院の前身となった華族女学校の発足と同時にフランス語の教師となりました。
 そのころ、大日本婦人教育会の幹事として、社会教育や慈善事業に活躍しました。
 明治31年(1898年)に、アメリカのデンバーで開かれた婦人倶楽部万国大会には、津田梅子(現在の津田塾大学創始者)と共に日本代表として出席し、英語で演説し、大変好評でした。
 その後、各地の福祉や教育施設を視察して、半年後に帰国しました。
 そのころ、筆子は、夫と二人の子供に先立たれ、残された長女は知的障害で、悩んだ末、一切の公的な役職を辞退し、長女と障害に苦しむ人達のために、自分の後半生を捧げる決意をし、日本で最初の知的障害児・者の施設、滝乃川学園の仕事に没頭していきます。やがて、障害児教育の第一人者である石井亮一園長と再婚。亡き後は二代目園長に就任し、日本における障害者の福祉と教育の草分けとして偉大な業績を残しました。
 昭和19年(1944年)年83歳の生涯を閉じました。
 「石井筆子の像」は、平成14年大村の偉人顕彰事業として建立されました。
【地図を見る】⇒ 石井筆子の像 


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