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大村の歴史
大村の城下町

千年の歴史 城下町大村
色とりどりの海石を漆喰で固めた「五色塀(ごしきべい)」。
6mを超える藩主の墓石は壮大で見事です。
 肥前大村藩2万7千石の城下町大村。大村氏は中世から江戸時代を経て明治維新に至るまで、絶えることなく大村地方を治めてきた大名です。
  その拠点は大村館、三城城 と移り変わり、1599年には、初代藩主となる大村喜前(よしあき)が三方を海に囲まれた要害の地に、玖島城 を築きました。
このとき合わせて、5つの武家屋敷街が形成され、玖島城大手門に通じる「本小路(ほんこうじ)」は、大村家一族や藩の施設が並んだ大通りで、このほか、「上小路(うわこうじ)」「小姓小路(こしょうこうじ)」「草場小路(くさばこうじ)」「外浦小路(ほかうらこうじ)」があり、今でも重厚な石垣が風格を漂わせています。
 岩船武家屋敷街への道筋にある 旧楠本正隆屋敷 は武家屋敷の様式をよく残しています。 
五色塀
大村の城下町
大村家の歴史
玖島城跡
玖島城下武家屋敷通り
旧楠本正隆屋敷
旧円融寺庭園
大村藩主大村家墓所
三城城跡

 ほかにも、色とりどりの海石を漆喰で固めた大村地方独特の「五色塀(ごしきべい)」が小路のところどころに残っています。これらの武家屋敷街は今も生活の中に生きています。
 また、大村藩は幕府の意向に添うよう、キリスト教から仏教(日蓮宗)に改宗し、大村家の菩提寺として 本経寺 を建立しました。
  境内の大村家墓所は6mを超える五輪塔、笠塔婆、石霊屋、宝塔、角塔など様々な様式が群立し、その壮大さ、石工技術の精巧さは見事なものです。これは、キリスト教禁教の姿勢を形に表したものと考えられています。
  なお、 本経寺 から 三城城 にかけて城下町が形成され、当時の面影が通りに残っています。



大村市観光振興課
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