円融寺は承応元年(1652年)4代藩主純長により創建されました。
純長は幕府勘定奉行伊丹播磨守勝長の四男でしたが、大村家養子となりました。
徳川家光の裁可により跡目相続が許された恩義に報ゆるため、徳川家の位牌を祭ることを願い出て、特別に許可を得たゆかりの寺です。
建立にあたっては、捕鯨(ほげい)業で有名な豪商深澤儀太夫の寄進によるものと伝えられています。
明治になって、せい忠蛍(えい)そして今は護国神社といい、戊辰(ぼしん)の役戦死者の墓、三十七士の碑、明治以降戦没者の忠魂碑などがあります。また、境内には、斜面を利用した枯山水の石庭が残り、江戸初期の様式を伝える名園といわれています。
この庭の最大の特色は規模の雄大さと傑出した三尊方式石組にありますが、東西50mに及ぶ山畔(はん)を利用し、400個以上の石を組み合せる構成は見事なもので、江戸初期様式の石組庭園としては全国にも数少ないものといわれています。
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