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大村の城下町

千年の歴史 城下町大村
玖島城跡
【地図を見る】⇒ 玖島城跡 
 慶長4年(1599年)、初代藩主大村喜前(よしあき)が築城してから12代藩主純熈(すみひろ)の代(幕末)まで、270余年間大村氏の居城でした。
喜前(よしあき)は、秀吉の死後、天下の乱れを恐れて防備を固くするため、朝鮮の役での教訓を生かし、三方を海に囲まれた要害の地玖島(くしま)を選んで本城を築き、三城(さんじょう)城よりここに移りました。
大村の城下町
大村家の歴史
玖島城跡
玖島城下武家屋敷通り
旧楠本正隆屋敷
旧円融寺庭園
大村藩主大村家墓所
三城城跡

 慶長19年(1614年)大改修を行い、最初北側にあった大手を、現在のように、南側に移しました。この大改修の設計を、築城の名人加藤清正に指導を仰いだと伝えられています。本丸には天守閣はなく、平屋の館がありました。城の石垣は、当時のまま良く残っており、特に南堀に面した石垣の美しい勾配は壮観です。
 海に囲まれた玖島城には、御船蔵(おふなぐら)、新蔵波止(しんぐらばと)、船役所跡など海運に関する施設が多く残っており、海城の特徴を見ることが出来ます。また、遠浅のため敵の兵が上陸できない上、城近くの遠浅の海の中には捨堀を設けるなどしていましたので、一見平凡そうに見えても難攻不落の名城でした。
 明治17年(1884年)、本丸跡に歴代の藩主を祭る大村神社が建てられ、現在では桜・つつじ・花しょうぶが咲き競う大村公園として広く市民や観光客にも親しまれています。

玖島城散策マップ

大手入口門跡 現在の公園入口一の鳥居の地点にありました。
二重(ふたえ)馬場 大手門入口より大手口に通じる2本の道路をいい、慶長19年(1614年)に造られました。人道と馬・荷車の道に分けられたものです。
大手門跡 現在の大村公園四の鳥居の地点で、延宝5年(1677年)に門櫓が造られ、厳重な門扉で入口を開閉していました。
本丸跡 本丸は東半分が藩主居住地、西半分が政所(まつりどころ)でした。
3527坪余の内、建物敷地が648坪、本丸の周囲は、延250間、高さ5尺8寸の塀で囲まれ、矢狭間121個、鉄砲狭間123個、石火矢狭間6門が設けてありました。
板敷櫓台(いたじきやぐら)跡 大村公園の南側にあり櫓を復元しています。石垣は扇勾配の美しい曲線を描き、玖島城で一番美しい所です。
搦手(からめて)門跡 本丸の北側にあり、築城当時の大手門です。



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