慶長19年(1614年)大改修を行い、最初北側にあった大手を、現在のように、南側に移しました。この大改修の設計を、築城の名人加藤清正に指導を仰いだと伝えられています。本丸には天守閣はなく、平屋の館がありました。城の石垣は、当時のまま良く残っており、特に南堀に面した石垣の美しい勾配は壮観です。
海に囲まれた玖島城には、御船蔵(おふなぐら)、新蔵波止(しんぐらばと)、船役所跡など海運に関する施設が多く残っており、海城の特徴を見ることが出来ます。また、遠浅のため敵の兵が上陸できない上、城近くの遠浅の海の中には捨堀を設けるなどしていましたので、一見平凡そうに見えても難攻不落の名城でした。
明治17年(1884年)、本丸跡に歴代の藩主を祭る大村神社が建てられ、現在では桜・つつじ・花しょうぶが咲き競う大村公園として広く市民や観光客にも親しまれています。
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