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大村の歴史
キリシタン大名 大村純忠

日本最初のキリシタン大名 大村純忠
天正遣欧少年使節をローマに向かわせ、当時世界最高の技術と知識を大村に持ち帰らせた先見の明の持主。

 戦国時代の大村領主、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家を継ぎ領主となりました。周辺の戦国大名である佐賀の龍造寺氏、平戸の松浦氏、武雄の後藤氏などと争い、大村湾を取り巻く領土を確立していきます。特に後藤貴明は、大村家に生まれながら、純忠のために後藤家に養子に出されたため、終生、純忠に対して敵意を持ちました。純忠は、貿易港として横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行い、また、キリスト教を受け入れ、日本初のキリシタン大名となり、日本初のヨーロッパ公式訪問団である天正遣欧少年使節派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。純忠はこの地で亡くなり、三城城下の宝生寺に埋葬されましたが、その後改葬され、本経寺に埋葬されたと伝えられますが、墓は不明となっています。

キリシタン

大村純忠

大村純忠史跡公園
キリシタン時代
キリシタン禁教

大村純忠関係年表
西暦
 
1533
純忠、有馬晴純(はるずみ)の二男として生まれる
1550
ポルトガル船の平戸入港  純忠、大村家を相続する
1561
平戸・宮の前事件、ポルトガル船員と日本人商人が争う
1562
横瀬浦が南蛮貿易港として開かれる
1563
純忠、キリスト教に改宗する
後藤貴明(たかあきら)の家臣による謀反、放火により横瀬浦が壊滅
1564
大村に三城城が完成
1565
福田開港
1568
大村に御宿りの聖母協会が建てられる
1570
純忠の夫人、長男の喜前(よしあき)が受洗
フィゲイレド、長崎港を測量
1571
長崎港にポルトガル船入港
長崎に新しく六町ができる
1572
三城七騎龍、後藤貴明らが三城城を攻める
1574
大村領内の社寺がすべて破壊される
1580
イエズス会に長崎・茂木を寄進する
1582
天正遣欧使節、長崎を出発
本能寺の変、織田信長死去
1584
天正遣欧使節、スペインでフェリペ二世に謁見
1585
天正遣欧使節、教皇グレゴリウス十三世に謁見
1587
豊臣秀吉、伴天連追放令を発布
純忠、坂口館で亡くなる(55歳)

大村純忠史跡公園
大村純忠史跡公園
  大村純忠終焉の居館跡を中心とした歴史公園。泉水の庭園跡が残され、キリシタンや南蛮貿易と関わった大村純忠について知ることができます。
  荒瀬町大門にあります。時の重臣庄頼甫の屋敷でしたが、のち、龍造寺隆信の圧迫によって領主の座を退いた18代大村純忠の晩年の隠居所となりました。
  純忠は、ここでひたすらキリシタンの信仰に明けくれる余生をおくっていましたが、天正15年(1587年)、波乱に富む55年の生涯を閉じました。
【地図を見る】⇒ 大村純忠史跡公園 


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