戦国時代の大村領主、島原の有馬家から養子として大村家に迎えられ、大村家を継ぎ領主となりました。周辺の戦国大名である佐賀の龍造寺氏、平戸の松浦氏、武雄の後藤氏などと争い、大村湾を取り巻く領土を確立していきます。特に後藤貴明は、大村家に生まれながら、純忠のために後藤家に養子に出されたため、終生、純忠に対して敵意を持ちました。純忠は、貿易港として横瀬浦、福田、そして長崎を開港して南蛮貿易を行い、また、キリスト教を受け入れ、日本初のキリシタン大名となり、日本初のヨーロッパ公式訪問団である天正遣欧少年使節派遣など歴史に残る多くの事業を行いました。純忠はこの地で亡くなり、三城城下の宝生寺に埋葬されましたが、その後改葬され、本経寺に埋葬されたと伝えられますが、墓は不明となっています。 |