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天正少年使節の街

天正遣欧少年使節
 キリスト教の布教が進む中、宣教師ヴァリニャーノは、キリスト教の中心地ローマへの使節派遣を計画し、大村純忠、豊後の大友宗麟、島原の有馬春信、の名代として4人の少年が派遣されました。これが「天正遣欧少年使節」と呼ばれる日本初の公式ヨーロッパ訪問団で、正使として伊東マンショ、千々石ミゲル、副使として原マルチノ、中浦ジュリアン、の4人の少年が選ばれました。彼らは、ポルトガル、スペイン、そしてローマを訪れ、400年前のヨーロッパに日本という国を知らしめました。
キリシタン
天正少年使節の街
天正夢広場
天正遣欧少年使節のローマまでの航路図
 
【地図を見る】⇒ 天正遣欧少年使節顕彰の像 
※左から、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン
伊東マンショ
正使 伊東マンショ
日向国(宮崎)都於郡(とのこおり)出身。
大友宗麟の遠戚にあたる。
四人の少年の中で最年長。
帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。
1601年マカオで神学を学び、1608年長崎で司祭となる。
布教活動の長旅で体を壊し、1612年、四十三才で長崎にて病死する。
千々石ミゲル
正使 千々石ミゲル
有馬領千々石出身。
釜蓋(かまぶた)城主千々石直員(なおかず)の子。有馬晴信のいとこ、大村純忠の甥にあたる。
帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。
1601年頃、イエズス会を脱会。清左衛門と名乗り、大村喜前(よしあき)に仕える。
1633年死去。
原マルチノ
副使 原マルチノ
大村領波佐見出身。
原中務(はらなかつかさ)大輔純一の子。
四人の少年の中で最年小。
帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。
1608年長崎で司祭となる。
布教活動を行うが、徳川幕府の禁教令によりマカオに脱出。
1629年マカオにて病死する。
中浦ジュリアン
副使 中浦ジュリアン
大村領中浦出身(現在の西海市)。
中浦領主中浦ジンクロウの子。
帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。
1601年マカオで神学を学び、1604年長崎に戻る。1608年、司祭となる。
徳川幕府の禁教令後も日本に残り、布教活動を続け、1633年、六十四才で長崎西坂にて殉教する。
 一行は長崎港を出港し、マカオ、マラッカ、インド、喜望峰をまわり2年半かかってヨーロッパに渡り、ローマ教皇と掲見しました。そして出発してから8年5ケ月という大旅行のすえ、天正18年(1590年)帰国しました。少年達は、活字印刷機械などヨーロッパの進んだ技術や知識を持ち帰り、日本文化に貢献しました。彼らが長崎港を出帆して400年目を記念し、4少年の偉業をたたえるため、顕彰像がたてられました。
天正遣欧少年使節

天正夢広場
大村純忠史跡公園
 JR大村駅にほど近い芝生の美しい広場で、天正少年使節のからくり人形が楽しい「天正夢時計」が置かれ、国際都市大村のシンボルとなっています。
【地図を見る】⇒ 天正夢広場 


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