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大村の城下町
日本初のキリシタン大名として有名な18代大村純忠が、永禄7年(1564年)に完成させました。子の喜前(よしあき)が玖島(くしま)城へ移る慶長4年(1599年)まで、大村氏の居城でした。多良山系から延びる尾根の先端を利用したこの城は、石垣がなく、堀や土塁で守られた中世の特徴を持っています。
元亀3年(1572年)には、武雄の後藤氏、諫早の西郷氏、平戸の松浦氏の軍勢に急襲包囲されましたが、わずかな手勢でこれを防ぎ、勝利をおさめたという「三城七騎籠(さんじょうしちきごも)り」が起きました。現在、主郭(本丸)跡には、長崎県忠霊塔があります。
主郭東側の曲輪(くるわ)では発掘調査が行われ、大規模な堀、土塁や建造物跡が見つかり、当時の生活用品や鉄砲の弾が出土しました。
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玖島城跡
玖島城下武家屋敷通り
旧楠本正隆屋敷
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三城城跡
三城城平面図
城の正面玄関である大手の場所は、富松神社の入口周辺が考えられます。
三城城の中でも、特に防御の工夫を凝らした様子が、竹やぶの中に観察できます。
純忠の屋敷などがある城の中心『郷村記(ごうそんき)』に書かれている本丸と考えられます。
富松神社本殿左手にある小山の前には、土塁(どるい)が良く残っています。途中土塁の切れ目があり、出入り口の可能性があります。
南斜面は浅い谷から穏やかに上がっています。
この堀は幅5メートル以上、長さ200メートルを下らない三城城でも最大級の大空掘で、記録が伝える「千綿掘」と考えられています。
この場所は(6)で説明した堀だけでなく、北側に切岸を持ちます。大きな土塁も見つかりました。
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大村市観光振興課
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