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大村の歴史
大村の城下町

千年の歴史 城下町大村

 大村家史料では、正暦5年(994年)、藤原直澄(なおずみ)が、寺島に上陸して久原城に本拠をかまえ大村氏を名のり、以来14代500年近く久原城を居城とし、平時は乾(いぬい)馬場の大村館に居住したとされ、この間、京都大番役、鎌倉幕府の地頭をつとめ、文永の役、弘安の役の出征、南北朝時代は南朝のために働くなど、西国の武将として名をあげたと記してあります。
 他の史料によると異説があり、大村氏の先祖は平姓で、はじめ肥前国藤津郡に本拠をおいたともいわれています。

大村の城下町
大村家の歴史
家系図、年表
家紋
玖島城跡
玖島城下武家屋敷通り
旧楠本正隆屋敷
旧円融寺庭園
大村藩主大村家墓所
三城城跡



年 表

西暦
年号
日本史
大村市
領主(藩主)
約15,000年前
   
 
 
 
  海抜200mの山間地に古代大村人が住みつく
 
3世紀
4世紀
卑弥呼、邪馬台国の女王に
大和朝廷、日本統一
   
 
  黄金山、鬼の穴、玖島崎などの古墳が造られる  
5世紀〜6世紀
     
 
 
   
 
645
 
大化の改新  
 
710
和銅3
平城京  
 
794
延暦13
平安京  
 
994
正暦5
  大村氏の祖先、藤原直澄が四国から大村へ入部
1.直澄
 
 
   
 
1167
仁安2
平氏が政権をにぎる  
 
1192
建久3
鎌倉幕府が成立  
 
1392
元中9
南北朝が合一する  
 
1467
応仁元
応仁の乱がおこる  
 
1474
文明6
  大村純伊、中岳の合戦で敗れ、加々良島へのがれる
16.純伊
 
 
   
 
1480
文明12
  純伊、旧領奪回
寿古踊、沖田踊、黒丸踊、角ずしが始まる
 
1562
永禄5
  純忠の横瀬浦開港
 
1563
永禄6
  純忠、キリスト教に改宗
18.純忠
1564
永禄7
  純忠、三城城を完成させる
 
1570
元亀元
  喜前、洗礼をうける
 
1571
元亀2
  純忠、長崎港の開港
 
1572
元亀3
  後藤貴明ら三城を攻める
(三城七騎ごもり)
 
 
 
   
 
1573
天正元
室町幕府がほろびる  
 
1574
天正2
  大村領内の社寺が焼かれる
 
1577
天正5
  菅無田、朝追岳合戦
 
1582
天正10
本能寺の変(信長没) 遣欧少年使節が長崎発
 
1585
天正13
  〃   ローマ法王に拝謁
 
1587
天正15
豊臣秀吉、島津を攻める
秀吉、バテレン追放令を出す
純忠、坂口館で没
19.喜前
(初代藩主)
1590
天正18
  喜前、島津攻撃参加
遣欧少年使節長崎着
 
1599
慶長4
  喜前、玖島城を築く
 
1600
慶長5
関ヶ原の戦い  
 
1603
慶長8
徳川家康、江戸幕府を開く  
 
1605
慶長10
  大村喜前、宣教師との交際を絶つ
 
1608
慶長13
  本経寺建立
 
1609
慶長14
  長安寺建立
 
1614
慶長19
  玖島城の大改修
20.純頼
(2代藩主)
1633
寛永10
鎖国令が出される  
21.純信
(3代藩主)
1637
寛永14
島原の乱がおこる  
 
1640
寛永17
  春日神社の建立
 
1652
承応元
  円融寺の建立
22.純長
(4代藩主)
1657
明暦3
  郡崩れ、領民603名逮捕
 
1658
万治元
  郡崩れの逮捕者406人処刑
 
1661
寛文元
  深澤儀太夫、野岳湖の造設
 
 
 
   
 
1664
寛文4
  千葉卜枕、放虎原の開拓
 
1670
寛文10
  藩校集義館が開設される
 
1716
享保元
享保の改革が始まる  
24.純庸
(6代藩主)
1787
天明7
寛政の改革が始まる  
 
1790
寛政2
  藩校五教館と改称
28.純昌
(10代藩主)
1830
天保元
  古田山痘瘡所が開設される
 
1841
天保12
天保の改革が始まる  
29.純顕
(11代藩主)
1849
嘉永2
  長与俊達、牛痘腕種法を実施する
30.純熈
(11代藩主)
1853
嘉永6
ペリー浦賀に来航  
 
1854
安政元
日米和親条約が結ばれる  
 
1860
万延元
桜田門外の変  
 
1862
文久3
  三十七士が血盟する
 
1867
慶応3
大政奉還、江戸幕府滅亡  
 
1868
慶応4
戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)など 大村兵、東征軍として出陣
 
1868
明治元
明治維新 大村兵北伐軍として秋田へ出陣
長与専斎、長崎医学校学頭となる
 
 
 
   
 
1869
明治2
版籍奉還 大村純熈・大村藩知事へ就任
 
 
 
     
1871
明治4
廃藩置県 大村藩は大村県となる
大村県は長崎県に併合される
 
1872
明治5
  五教館が廃止される  


大村家の家紋
大村家の家紋  鎌倉時代のはじめ、大村家7代忠澄は、兄の有馬経澄(つねずみ)(庶子のため分家)と共に京都大番役として御所の守護に当たっていました。
 たまたま京都のまちに大火があり、御所も危うく成りましたが、警固の者たちの働きによって、やっと類焼を免れることが出来ました。
 この時の兄弟の働きは抜群だったため、天皇は、両人を側近く召され、輪切りにした木瓜(もっこ)を与え、その功を賞讃されました。両人は直垂(ひたたれ)の袖で拝受しましたが、瓜面の跡が鮮やかに残り、 何時までも消えませんでした。
  それ以来、大村家の紋は五ツ木瓜(もっこ)を用いることになったといわれています。


大村市観光振興課
〒856-8686 長崎県大村市玖島1-25 TEL. 0957-53-4111 FAX. 0957-54-7135
お問合せ:kankou@city.omura.lg.jp