大村藩三十七士の一人にして、維新の立役者、渡辺清は、三城七騎籠もりで活躍した渡辺伝弥九の子孫です。清の父は巌といい、藩で寺社奉行、宗門奉行を務めた人物でした。三つ違いの弟に、同じく幕末明治に活躍した
昇がいます。
清は、天保6年(1835年)に、玖島城下岩船で生まれ、五教館で学びました。
幕末に幕府と朝廷の対立が激しくなると、清は、新精隊を結成、京都に昇り、倒幕の戦いである戊辰戦争で活躍しました。
その活躍が認められ、新政府軍の参謀として軍を率い、特に新政府軍の中心であった西郷隆盛の信頼は厚く、江戸城明け渡しの際の西郷隆盛と勝海舟との会談に同席したことは有名です。
明治新政府においては、まず、東北の民政に当たり、40歳で福岡県令、その後、福島県令を務め、貴族院議員にも2回当選し、男爵の位を授かっています。
明治37年に70歳で亡くなりました。
清の娘には、
石井筆子がいます。