戊辰(ぼしん)戦争で奥羽追討の北伐軍に大村藩により出征した326名のなかに、15才の少年鼓手浜田謹吾がいました。明治元年(1868年)9月14・15日、大村藩軍は暴風雨の中を刈和野(かりわの)(秋田県)で大いに奮戦し、角館(かくのだて)へ転進して大功をたてました。
しかし、謹吾少年は15日の刈和野の戦いで戦死しました。その血染の衣の襟には母が出征の際、わが子を励ますために書きしるした歌が縫いつけてありました。
「二葉より手くれ水くれ待つ花は君がためにそ咲けよこのとき」
これをみた現地の人々は大いに感激し厚く葬りました。こうした縁で現在、秋田県仙北市角館町と姉妹都市となりました。少年の墓は、久原1丁目の浜田家の墓地にありますが、大村護国神社境内にも祭られています。 |