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まちなかの史跡再発見
まちなかの史跡再発見
古田山疱瘡ほうそう所跡 市指定史跡
文政年間、 日本各地に疱瘡(ほうそう)(今の天然痘)が流行し、大村でもその対策に悩まされていました。藩医長与俊達は天保元年(1830年)痘家となり、この古田山にあった患者の融離収容所に研究所を併設して、疱瘡の根絶に苦心しました。
俊達が、当時画期的な種痘(しゅとう)法といわれた人痘腕種法や、日本最初といわれる牛痘接種に成功したのはこの古田山でした。
先人たちの偉業
大村彦右衛門の墓
千葉卜枕の墓
野岳湖と深澤儀太夫
川原悠々句碑
/川原悠々の墓
斎藤道場跡
古田山疱瘡
ほうそう所跡
長与俊達の墓
長与専斎の旧宅
浜田謹吾少年の墓
北川次郎兵衛の墓
伝鈴田道意の墓
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大村市観光振興課
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