1587(天正15)年に豊臣秀吉によって伴天連追放令が出されてから、しだいにキリスト教への弾圧が強まります。秀吉のキリスト教禁教の方針は、徳川幕府に受け継がれ、慶長17年(1612年)には、キリスト教を信じることはいっさい禁止されました。
大村領ではキリスト教が伝わってから、すでに40年がたっており、信者の数も6万人ほどにふくれあがっていました。
大村藩初代藩主大村喜前も、三歳でキリスト教の洗礼を受けていました。しかし、喜前は、幕府のキリスト教禁止の政策をいち早く見抜き、領民に先立ってキリスト教の信仰を捨てました。
慶長10年(1605年)にはイエズス会との交際を断ち、数人の外国人宣教師を捕らえ、牢屋に押し込めました。大村領でキリスト教が禁止されたのは、徳川幕府の禁教令より7年ほど早かったのです。 |